2014年夏 母(Y子さん)が認知症になってしまった!

きっと認知症だ!そう確信した旅。

Y子さん(母)を心療内科に連れて行く事に失敗して以降。

以前より頻繁に電話をかけたり、一緒に出掛けるように心掛けるようになった。

でも、その度に心配も増えて行く。

買い物に行けば、さっき下着を買ったばかりなのに

「さ、今度は下着を買い行こうかな?」などと言いだすこともしばしば。

父に対する悪口も、同じ話を何度も繰り返す。

そんな時、ご飯をあまり作らなくなったと父から聞いた。

ご飯は炊くけれどオカズのレパートリーが激減し、同じ物が多くなったと。

材料はあるのに、使わず破棄する事も増えたと言う。

またひとつ心配が増えて行く・・・・そんな日々を過ごしつつも月日は流れた。

2014年6月。

Y子さんが知人に会いに旅行に行きたいと言い出した。

気分転換や脳の活性にはいいんじゃない?そう思い、3泊4日の新潟・富山旅行を計画しました。

前半の新潟2泊は、関東に住む妹とも合流予定。とても楽しみだった♪

当日、電車の中で待ち合わせをした。(空港に向かうため)

朝から父が駅まで送って「今、お母さんを駅に降ろしたよ!」そう電話をくれた。

電車が来て、乗り込んだらY子さんが居ない!!

端から車両を見て回ったが、どこにも乗っていなかった。

もうね・・・血の気がザーっと引きましたよ。

あわてて携帯に電話したら、まだ駅にいるとY子さん。

とにかく次の電車に乗るように言って、到着駅で待つことにした。

飛行機に間に合わないかもしれない。

Y子さんがちゃんと降りて来なかったどうしよう・・・

心臓がドキドキして、涙が出そうになった。

電車が到着すると、ニコニコしながらY子さんが降りて来た。

話をするより先にとにかく走って移動し、なんとか飛行機出発20分前に空港に駆け込んだ。

滑り込みで新潟行きの便に乗り込むことができた。

父は早めに駅に送ってくれたのに、Y子さんはホームに行かずに駅をウロウロしていたらしい。

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そして乗り損なったことには気が付かず「ちゃんと来た電車に乗った」と言っていた。

電車の時刻もちゃんと紙に書いて渡したのに・・・

飛行機に乗り込むと、何事もなかったような顔で父の悪口をリピートするY子さん。

私は本当に疲れた・・・もう身も心もクタクタだったよ。

なんとか新潟に到着し、妹と合流した時はマジで泣きそうになった。

それから3人で観光をしたり、買い物やランチをしたけれど

Y子さんは何にでもあまり興味を示すことがなく、退屈そうに見えた。

そして相変わらず父の悪口をリピートしていた。

1日中Y子さんと一緒に居ると、今まで見えなかった事も見えるようになった。

思っていた以上に状況は悪いように感じた。

人に気を遣う事が、あまり出来なくなっている。

店先で「これ美味しくないね」なんて平気で言ったりするので、肝を冷やした。

それと、荷物の中身がヘンだった。

持ってきた洋服の組み合わせもヘンだったし、季節感もおかしかった。

オマケにバッグの中はぐちゃぐちゃで、使用済みの下着と新しい下着も分からなくなってる。

何回も「明日、どの洋服着ようか?」そう言いながら部屋の中を歩き回る。

「明日はこれと、これね!」そう言ってハンガーにかけた洋服をその度に見せた。

夜、Y子さんが寝てから「やっぱり認知症よね・・・病院に行かないとね」妹とそう話した。

時々数時間会うだけでは見えなかったものが、一気に見えたような気がして怖かった。

リピートする父の悪口を聞きながら、Y子さんの相手をするのに心底疲れていた。

最後の1泊はY子さんと2人だったので、早く帰りたくてしょうがなかったよ・・・・

「早く帰りたい。キツイ」そう主人に泣き言Lineを送った。

もうY子さんは、Y子さんじゃなくなった・・・・

前のY子さんはもう何処にも居ない。

これからどうなるんだろう?

不安でいっぱいだった。

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