2014年夏 母(Y子さん)が認知症になってしまった!

認知症の症状 Y子さんの場合。

認知症の症状が出てY子さん(母)が出来なくなった事がいろいろある。

①料理。

正確には買い物に行って「何を作ろう?何を買おう?」と

考える事が出来なくなった。

でも材料を渡し、「コレを作ってね」と言えば、ちゃんとなんでも作れる。

②整理整頓が出来なくなった。

元々あまり片付けが上手な人ではなかったけれど、何をどこに片付けていいのか

さっぱり分からなくなってきたようで、特に洋服類は雑然と積み上げられていた。

③道を忘れるようになった。

認知症と診断されてからも、車の運転をしていたY子さん。(お医者さんのOKも出ていた)

でも、時々道が分からなくなっていたようで

私の家に来るのに、とっても時間がかかってしまう時があった。

車の運転に関しては回りの方が心配をした。

④人に気配りができなくなった。

「歯に衣着せぬ」を地でいくので、一緒にいてギョッとすることも多い。

出来なくなった事は他にも色々あるけれど

しなくなった事も沢山ある。

①オシャレを全くしなくなった

②お風呂に入るのを面倒くさがるようになった。

③長年の趣味も辞めてしまった。

④家から出るのを嫌がるようになった。   などなど

ネットで検索した認知症の症状が、そのままピッタリ当てはまる。

もともとY子さんはとっても若々しくて、活動的な人だっただけに

より変化が大きく感じられたんじゃないかな?と思う。

大人しい内向的な性格の人は、意外に周りが気が付くのが遅くなる事があるかもしれない。

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それと、これは「出来なくなった、しなくなった」ではないけれど

現実と想像が混じった過去が出来上がっている時がある。

例えばね

「群馬から2階建ての新幹線に乗って博多に戻るとき、黄色い新幹線をしょっちゅう見てたよ!」

そう言う。

イエロー

黄色い新幹線とはドクターイエローの事だ。

ドクターイエローとは新幹線の線路や架線、信号電流の状態を調べながら走る

いわゆる設備用の新幹線の事だ。                                                  (wikipediaさんから画像をお借りした。)

この車両、滅多に見る事ができない珍しい新幹線なのだ。

Y子さんは習い事の関係で博多~広島間を新幹線で往復することはよくあった。

でも、群馬から新幹線に乗ったのは多分2~3回。

ましてや群馬から博多に直通の新幹線はない。

でも「違うよ!いつも群馬から博多までずっと2階建ての新幹線に乗って帰るのよ」

そう言い張る。

そして「黄色い新幹線はいつもすれ違ってた」  そう言う。

家族が聞いている分には、「はいはい、そうかもね~」でいいけれど

他人が聞いたらとんでもない嘘つきだわ・・・

こんな事は増えてきてるかもしれない。

楽しい仮想記憶ならいいけれど

父の悪口にも仮想が混じる時もある。

きっとこんな状態が進むと、「お金を取った!」とか「ご飯を食べさせてくれない!」とか

そんな話に発展していくんだろうな。

認知症の診断から1年半。

物忘れだけでなく、こんな変化がすこしづつ起こっている。

どうかゆっくり、ゆっくり・・・進行を遅らせる事ができますように。

そう願う毎日です。

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