2014年夏 母(Y子さん)が認知症になってしまった!

分かって欲しい人が分かってくれない。

本日は学習障害の話。

前回でほぼ書き上げた息子の学習障害の話。

小学校の低学年から就職までの約10年近くの話を書いたが、

ちょっと読み返してみて、なんだかおキレイにまとまってしまった気がした。

そう思ったのはきっと、周りの人間に絡む話があまり書かれていないからだ。

私が一番ツライと感じたのは、息子が学習障害を持っている事と同じくらい

より身近な人間の、理解と協力を得ることが出来なかった事だったかもしれない。

その最たる人物は主人だ。

主人は仕事も一生懸命で家族をとても大事にする人だ。

賭け事もせず、飲みに出歩くこともない。

父として夫として本当に申し分のない人だと思う。

そんな主人が息子の学習障害に対しては、ほぼ無関心だった。

息子の学習障害に関してと言うより、子どもたちの学習面に関心がないのだ。

 

だから子どもたちの成績に文句をつけたこともないし、

娘の受験だって「どこの学校を受験するの?」と聞いたこともなかった。

ただ元気ならばそれでいいと思っているようだった。

だから息子の学習面について相談しても

「なんとかなるんじゃない?」「なるようになるんじゃない?」と、

そんな返事しかもらえなかった。

 

「なんとかなるんじゃない?」

私はその言葉が大嫌いになった。

なんとかしなくては、なんともならない事だってあるのだ。

何もしなければ状況はますます悪くなるのは分かっている。

それなのに主人は全く取り合ってくれなかった。

「もっと気楽に考えたら?」と言われ呑気な主人に対して怒りを覚えた。

正直な話、何度も離婚を考えた。

 

理解してくれなかったのは主人だけではなかった。

長年の親友も主人と同じ事を言ったのだ。

「高校はどっか入れるって!!」とも言った。

出来る限り息子の為になる学校に・・・・そんな気持ちは全く理解されなかった。

 

私が考えすぎなんだろうか?

そんなにバカバカしく見えるのだろうか?

気持ちが押しつぶされそうで、ヘンな話 生理もすっかり止まってしまった。

誰に理解されなくても構わなかったが、主人と親友にだけは分かって欲しかった。

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今思い返せば更年期でもあったのだろう。

その頃に病院で閉経と言われた。

早い年齢での閉経だった。

その影響もあってか、肌は荒れいっぺんに年を取ったような気がした。

出来るだけ人に逢いたくなかった。

精神的に疲れ切った私は、一方的にに親友との間を断ち切った。

分かって貰えない辛さを抱えて過ごすより、縁を切る辛さを選んだ。

 

そんな中、私を支えてくれたのは娘だった。

「弟くん、凄いよね~!私があれだけ勉強頑張ったら、学年1位になるかも!!」

そう言って、弟の頑張りを一緒に見守ってくれていた。

娘が福祉関係の方面に進むようになった一因は、

そんな弟の存在も関係していたようだ。

 

娘が大学で学習障害に詳しい先生と話をした事があった。

「先生がね、お母さん偉いねって言ってたよ。」

「とっても上手に弟くんを育てたって!」そう言ってくれた。

そして同じ子供さんを持つ方々とのコミュニケーションの場を紹介して下さった。

ホントに嬉しくて涙が出た。

その頃は私も息子もすっかり落ち着いていたので、

コミュニケーションの場に顔を出すことはなかったが、

早い段階でそんな場所に行き、話を聞いてもらえば良かったと思った。

 

なんとなくギクシャクした主人とも、今は元に戻っている。

縁を切った親友とは、最近4年ぶりに再会した。

彼女との関係はまた新しく始まりそうだ。

時間が解決することもあるしね・・・

 

辛かった記憶もすこしづづ薄れている。

これを書きながらそう感じた。

日にちが薬だ。

 

今、ツライ人もいつかはそう思える日が来るよ。

きっとね。

 


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