2015年初夏。
この頃のY子さん(母)は、胃潰瘍の治療も進み
ご飯もしっかり食べるようになっていた。
認知機能改善の「プラズマローゲン」ゼリーもきちんと摂取していたので、
体調も機嫌もなかなかに良い状態が続いていた。
もちろん物忘れが治ったわけでも、認知症の症状が消えたわけでもない。
ただ以前と比べると、症状が軽くなっていた。
簡単な調理もするようになり、「人に気を遣う」と言う感情も戻っていた。
毎日のように実家のご飯を作り、父に持たせる。
そんな私に対しても「いつも美味しいご飯を作ってくれて、ありがとうね」
そうお礼を言うようになった。
これは私にとって、すごく嬉しい事だった。
で、またバカな私は張り切る。
「煮魚が美味しかった」と言われれば、そんな喜ぶメニュー優先する。
初めは「出来る範囲で、家のご飯をお裾分け。」って事で始めたご飯作りだったが
そのうち実家用のおかずを別に作る事も多くなり、気軽に「今日はお休み~」って
言う事もできなくなっていた。
用事があるときは、前もって2日分のオカズを作り渡しておく。
自分の家のご飯がいらない時(例えば外食ね)にも、実家の分は作る。
そんな無理がどんどん積もって行く。
それに加えて、毎日のようにオカズを取りに来る父の相手にも気を遣う。
Y子さんの通院や、ご機嫌伺いにも気を遣う。
張り切りすぎて、気を遣ってどんどん疲労が溜まって行く。
そのうち母の通院の日が、苦痛で仕方なくなっていた。
そしていつも忙しいと言う姉に対しても不満でいっぱいだった。
そんなストレスがいっぱいの、私の愚痴を聞いてくれるのは主人。
どちらかと言えば、私が一方的に話してる感じではあるけれど
それでも聞いてもらえるだけでも、随分気持ちが楽にはなった。
そしてY子さんが認知症と診断されて以降
いろんな面で助けになってくれたのは、大学生の娘だ。
社会福祉を学んでいる娘は、認知症に関しても勉強をしており
Y子さんと私の助けになれば・・・と、
こんな資格も取ってくれた。
「認知症ケア指導管理士」
Y子さんの所にも度々足を運んで、話し相手にもなってくれる。
本当に心強い存在。
家族が心の支えになってくれるって事は、本当にありがたいですね。
これから先はもっともっと、家族に迷惑をかけるかもしれない
それでもきっと、一緒にY子さんを見守ってくれるだろう。